京都・祇園の華 舞妓のいろは
舞妓の歴史
新門荘からほど近い、八坂神社の門前にあった茶店、それがお茶屋の発祥とされ、そこで神社に参詣する人にお茶や団子を供していたところに酒が加わ り、それを運んでいた女の子が歌舞伎芝居を真似て三味線や踊りを披露する・・・。それが舞妓・芸妓の始まりと言われています。
舞妓への道のり
舞妓になるためには、屋形(置屋の意味)に住み込み、屋形の手伝いをしながら舞や花街ことば、花街の知識を習得する事が必要となります。
この期間が約1年間、「仕込み(おちょぼ)」といいます。
舞の習得が出来たと判断されれば「見世だし(舞妓としてお目見えすること)」に向けての準備が始まります。 本人を物心両面で支える姉芸妓を決め、姉妹の盃が交わされます。そして姉芸妓の一文字をとって名前が付けらます。 見世だしの日が決まれば、そこからの約1ヶ月間は見習い期間となるのです。
見習い期間は、お座敷に出るのも勉強。特定のお座敷に待機し、そこに声の掛かった舞妓・芸妓と共にお座敷
を勤め、雰囲気に慣れるように励みます。
舞妓は本来、芸妓になるための修行の身だからです。
舞妓から芸妓へ
舞妓はおぼこさが大切なイメージなので、20才に近づく頃には「襟替え」をして芸妓へと姿を変えます。 襟替え前の1ヶ月は、その期間しか結うことのできない「先弄(さっこう)」と呼ばれる髪型で過ごし、「お歯黒」にします。 そして襟替え前日の「先弄」の最後の夜に、髷(まげ)にはさみを入れてもらい、襟替え当日は、ばっさり切った髪の毛に鬘(かつら)をかぶり、芸妓へとなります。
芸妓は、舞と鳴り物を担当する「立方」と、三味線や長唄などを担当する「地方」に大きく分かれます。 芸妓には年齢制限がなく、いくつになろうと芸妓であり続ける事が出来ます。 これも、しきたりや文化を伝承してゆくための術なのかもしれません。
京都・祇園 舞妓の姿
簪(かんざし)や髷(まげ)も年齢に応じて変わります。
白粉で「二本足」に引きます。
長さ5m以上もある帯は舞妓さんのトレードマーク。
四季折々で柄も素材も変化します。帯の端には屋形の紋が入っています。
舞妓さんの着物は京友禅で、柄は屋形のお好みの季節のもの。
大きな帯留めの事を言います。宝石などをあしらった豪華な物もあり、屋形に代々伝わる家宝です。
舞妓さんの装いの中でもシンボルともいえるアクセサリーですが、正装のときは着けません。
桐の下駄。
鼻緒は赤からピンク、水色等年齢に応じて変化し、下駄の高さも変わります。
京都・祇園 お座敷遊び
「お座敷遊び」とは、お座敷で座に興を添える遊びで、野球拳などの”拳”と名のつく遊び(ジャンケンも
その一つ)と、そのバリエーションは数多くあります。
拳の中では、「野球拳」「夫婦拳」「とらとら(和藤内)」や「つるつる拳」などは今も人気があり、
それ以外にも、金比羅舟舟などは軽快な三味線のリードで楽しめ、どれも酒席の雰囲気を盛り上げてくれる、お座敷ならではの遊びです。
人気の「とらとら(和藤内)」「金比羅船々」についてご紹介します。
"和藤内"とは、近松門左衛門の浄瑠璃”国性爺合戦”の主人公の事を言います。
明の鄭芝竜が日本に亡命し、日本女性との間に生まれた鄭成功(和人と唐人との
間の子であるため、和でもなく唐でもないという洒落から「和藤内」と呼ばれた)が
猛虎を従えて、虎狩りの兵士を降伏させるというくだりにちなむこの遊びは
「とらとら」と呼ばれ親しまれているのです。
遊び方は、お互いの姿が見えないように二人が衝立てなどを隔てて並び、ジャンケン
のように勝敗を決めます。
槍を持つポーズは和藤内、虎のポーズは虎を意味し、杖を持つポーズは和藤内の母
親、これらがそれぞれグー・チョキ・パーの役目を持ち、和藤内は虎に勝ち、虎は母親
に勝ち、母親は和藤内に勝つのです。
二人はお互いの姿が見えないものの、お座敷にいる人たちの表情を見ると、相手が
どれを出しているか(どのポーズをしているか)想像がついたりするので、それが当た
っていたり、違っていたり、二人のポーズが面白かったり、皆で楽しめる遊びの一つです。
"金比羅船々、追風に帆かけてシュラシュシュシュ、まわれば四国は讚州那珂の郡、
象頭山、金比羅大権現、一度まわれば"と地方のおねえさんが三味線を弾き、それ
に合わせて遊びます。
二人が向かい合い、両手をグーの形に握り、その拳を交互に前に進め後ろに戻し、拳を出し間違えた人が負けとなります。
もう一つの遊び方は、二人が向かい合った間にお椀のような物を置いておき、交互に手の平をその上に出しては引っ込める。
片方が物を取ったならば、拳を出す。これを間違えた方が負けとなります。
三味線がペースを速めたり、ゆるめたりして、雰囲気を盛り上げます。















