陸前高田市のマツを護摩木にして16日の大文字送り火での使用を
中止するやら再開するやらの話。
京都新聞に毎日目を通している私は、「中止することになった」旨の第一弾記事を読んだとき
あ〜これは後々大問題になるな、と瞬時に思いました。(多くの人がそう思ったはず)
案の定、何日かして記事枠は日ごと大きくなり
全国放送のニュース番組でも取り上げられました。
約40人からの放射能への不安の声→セシウム検査→検出されていないのに中止発表
→すでに集まった護摩木は大文字送り火ではなく、被災地で迎え火として燃やす
→そうした流れに数日で1000件軽くを超える抗議 ……
わざわざこのブログのネタにするのもどうかなぁと懸念していましたが、
昨日、被災地で送り火として燃やされるために書かれた護摩木を
赤の他人が手を合わせて書き写している滑稽な姿を見て
思わず「馬っっ鹿じゃない」と言葉が漏れました。
それらはまるでパフォーマンスで、祈りをこめて書かれた人のことをまるで度外視していると、
浅はかな一連の騒動には被災地の方々はもちろん、同じ京都市民として
憤懣やるかたない人はたくさんいるでしょう。
「批判がここまで広がるとは思っていなかった」と保存会は言い、
「残念」と言った市長に対して、「今になって市長が残念というのは納得できない」と再び保存会側。
責任の擦り合いは、まるで霞が関でやり取りされていることと同じで、
やはりそこには被災者の気持ちがお座なりにされてしまっている。
挙句、300本の護摩木は迎え火として燃やされた後に
500本を新たに送り火として燃やすと発表。
一度断ったのに火に油をそそぐまさしく自己都合の保身的な代替案。
深慮を欠く意思決定にはほとほと呆れます。
京都として、別の形で誠意ある謝罪の姿勢を見せ、
被災者を励ましたり、支援する方法はいくらでもあります。
5か月経った現在でも、いまだ行方不明者が5000人近くいて
15,700人もの亡くなった方が判明している今年は、多くの人にとって様々な思いが募るお盆です。
先日のブログにも書きましたが、16日の送り火はこの世に戻ってこられた「おしょらい」さんを
あの世へ再び送り出す大切な行事なのです。
京都市民であれば より一層その根底が理解されているはずなのに
行政も保存会も形だけで、基本的理解と「心」がなかった故の騒動です。
n
中止するやら再開するやらの話。
京都新聞に毎日目を通している私は、「中止することになった」旨の第一弾記事を読んだとき
あ〜これは後々大問題になるな、と瞬時に思いました。(多くの人がそう思ったはず)
案の定、何日かして記事枠は日ごと大きくなり
全国放送のニュース番組でも取り上げられました。
約40人からの放射能への不安の声→セシウム検査→検出されていないのに中止発表
→すでに集まった護摩木は大文字送り火ではなく、被災地で迎え火として燃やす
→そうした流れに数日で1000件軽くを超える抗議 ……
わざわざこのブログのネタにするのもどうかなぁと懸念していましたが、
昨日、被災地で送り火として燃やされるために書かれた護摩木を
赤の他人が手を合わせて書き写している滑稽な姿を見て
思わず「馬っっ鹿じゃない」と言葉が漏れました。
それらはまるでパフォーマンスで、祈りをこめて書かれた人のことをまるで度外視していると、
浅はかな一連の騒動には被災地の方々はもちろん、同じ京都市民として
憤懣やるかたない人はたくさんいるでしょう。
「批判がここまで広がるとは思っていなかった」と保存会は言い、
「残念」と言った市長に対して、「今になって市長が残念というのは納得できない」と再び保存会側。
責任の擦り合いは、まるで霞が関でやり取りされていることと同じで、
やはりそこには被災者の気持ちがお座なりにされてしまっている。
挙句、300本の護摩木は迎え火として燃やされた後に
500本を新たに送り火として燃やすと発表。
一度断ったのに火に油をそそぐまさしく自己都合の保身的な代替案。
深慮を欠く意思決定にはほとほと呆れます。
京都として、別の形で誠意ある謝罪の姿勢を見せ、
被災者を励ましたり、支援する方法はいくらでもあります。
5か月経った現在でも、いまだ行方不明者が5000人近くいて
15,700人もの亡くなった方が判明している今年は、多くの人にとって様々な思いが募るお盆です。
先日のブログにも書きましたが、16日の送り火はこの世に戻ってこられた「おしょらい」さんを
あの世へ再び送り出す大切な行事なのです。
京都市民であれば より一層その根底が理解されているはずなのに
行政も保存会も形だけで、基本的理解と「心」がなかった故の騒動です。
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