観亀(かんき)稲荷神社

 新門荘から徒歩3分、雑居ビルの狭間に「観亀(かんき)稲荷神社」があります。


私が子供の頃は、仲良しの近所の友達とランドセルを背負いながら
よくこの界隈をウロウロとしたものです。
何を目的で遊んでいたのかはよく覚えていませんが、
京都独特のか細い路地(ろーじ)を通ったり、
町屋が並んでいる真横に細長いビルがある風景のこの界隈を
子供ながらに不思議な感覚を持っていたことははっきり覚えています。

DSC00651.JPG


本日紹介する観亀(かんき)稲荷神社もその一つです。

この神社の表の通りは見渡す限り、情緒のかけらもない雑居ビルばかりです。
そんな中にポツーンと佇む神社。


神社の左を見ても…

DSC00653.JPG

右を見ても… 汚いビルばかり…

DSC00655.JPG


今年5月にこの神社の鳥居が20年ぶりに新調されたと京都新聞で知りました。


その記事で初めて知ったのですが、この神社は1718年に創建されたそうです。
もともと、御所の火の番をする膳所藩(ぜぜはん…今の滋賀県大津市)の
京屋敷跡地で、火伏せの神として有名な静岡県の秋葉権現を
茶臼山(滋賀県大津市)に勧請した際に、分霊を祀ったとのこと。


ひえー!! ΣΣ(゚д゚lll)


びっくりです。そんなに歴史のある神社だったとは…

実はこの裏路地に、日吉堂という新門荘にも出入りしてもらっている
お気に入りのマッサージ屋があるのですが、夜中そこへ出向く時や、
花見小路通りから東大路通りに抜ける時に
この観亀稲荷神社を横目に「あやしい神社だ」と思いながら前を通っていました。


しかも、「観亀」の漢字を「鶴亀」とよく読み間違えるので、
私の頭の中には、「つるかめ神社」でインプットされていました。


この観亀稲荷神社は祇園東地区の防災や守護繁栄の神様として親しまれています。


ちなみに、祇園東地区とは、
新門荘の目の前の花見小路通より東側で四条通よりも北側の小さな地域です。


京都の芸舞妓は5つの花街に区分されていますが、
「祇園東」の芸舞妓はその地域を主体に活躍する花街、
「祇園甲部」はそこ以外の祇園地域の花街です。

昔は「祇園乙部」と呼ばれており、
実際お年を召した方から「乙部さん」と呼んでいるのを聞いた事があります。


しかしながら「甲部」「乙部」だと順位をつけているようだという事で、
現在は「祇園東」として親しまれています。


今日は久しぶりに勉強になるブログでしたねー^^;

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