龍馬 暗殺の地

下の写真は「河原町通り」といい、京都市内の繁華街に位置する南北の通りです。

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ここ最近の坂本龍馬ブームで足を止めている人を見かけるようになりましたが、
理由はその坂本龍馬が暗殺された場所として
「坂本龍馬・中岡慎太郎 遭難の地」と書かれた碑が建っているからです。

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先日、「らくたび」の若村さんに教えていただいたのですが、
幕末の河原町通といえば、もっと道幅が狭く
なんと現在の片側歩道分くらいしかなかったそうです。


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3枚目の↑上の写真ですが、河原町通りの東側から西側を撮っています。

西側(写真中央奥)に赤の丸印をつけていますが、それが2枚目の写真の「碑」です。


ここ三条河原町付近には土佐藩邸があった場所でもあり、
龍馬が暗殺された「近江屋」という醤油商の屋敷があった場所でもあります。


龍馬の周囲の不審な動きを察知した人から「土佐藩邸」に居なさいよ、という
忠告を受けながらも、龍馬は藩邸には入らずに転々とします。

脱藩していた龍馬にとっていくら故郷とはいえ土佐藩邸には上がりにくかったのかもしれません。

さて、「近江屋」もその転々とした先の一つです。




写真の矢印は、その「近江屋」のまさしく「入り口から奥へ」という方向を示しています。
つまり、玄関は今の河原町通り東側の歩行者通路付近にあったということです。



龍馬は写真の→通りに玄関を上がり、その奥の座敷へと進み2階にいたところを
刺客に襲われそのまま亡くなってしまいます。1867年11月15日の出来事でした。




この日の龍馬は風邪を引き、熱があったと言われています。

「もし」龍馬の健康状態に問題がなければ… 
ひょっとしたら剣術誉れの高い龍馬ならば致命傷を負わずにすんだのかもしれません。


しかし、これも運命だったのでしょう。


それから143年経った今、龍馬が暗殺された位置付近は、
つい最近旅行会社からコンビニへと様変わりしました。

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